大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和62年(オ)362号 判決

上告人

日本赤十字社

右代表者社長

山本正淑

右訴訟代理人弁護士

饗庭忠男

小堺堅吾

山本一道

井上利之

大島真人

被上告人

前田幸人

被上告人兼右幸人法定代理人親権者

前田善一

被上告人兼右幸人法定代理人親権者

前田良子

右三名訴訟代理人弁護士

石坂俊雄

村田正人

福井正明

伊藤誠基

主文

原判決中、上告人敗訴部分を破棄する。

前項の部分につき、第一審判決を取り消し、被上告人らの請求を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人らの負担とする。

理由

上告代理人饗庭忠男、同小堺堅吾、同山本一道、同井上利之、同大島真人の上告理由第二点について

一本件請求中の論旨に係る部分は、被上告人らが、上告人に対し、上告人の経営する山田赤十字病院(以下「上告人病院」という。)眼科の浦和医師に注意義務違反があり、そのため被上告人幸人(以下「幸人」という。)は未熟児網膜症(以下「本症」という。)にり患しながら光凝固法等による治療の機会を奪われ両眼を失明するに至ったとして、債務不履行又は不法行為に基づいて、その失明によって被上告人らが被った精神的苦痛に対する慰謝料の支払を求めるものである。

二浦和医師の診察、治療等について原審が適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  幸人は、昭和四七年九月七日上告人病院で出生したが、生下時体重一六三〇グラム、在胎三〇週の未熟児であったため同病院で引き続き保育医療を受け、同年一一月一〇日退院した。その間、同病院で幸人に対する眼科的診療はされなかった。幸人は、同年一一月二八日、同病院の眼科で初診として浦和医師の診察を受けた。同医師は、その際、幸人を連れてきた前田よし枝から幸人が未熟児で出生したことを告げられたが、眼底検査を実施した結果異常を認めなかったので、その旨よし枝に告げ、なおも大丈夫ですかと問いかける同女に対し、心配ならば半年後くらいに来院するように指示し、カルテにも「半年後に来る」と記載した。

2  幸人は、再び、昭和四八年三月一二日、同病院の眼科で同医師の診察を受けた。同医師は、その際、細げき灯検査を実施して眼底の所見を得ようとしたが、幸人が動くためこれを行うことができなかったけれども、診察の結果、幸人が白内障にり患しているものと考え、カルテにもその旨の記載をし、幸人は白内障にり患しているが、将来手術をすれば視力が得られる旨よし枝に告げ、同症の治療のための点眼薬を投与した。

3  ところが、幸人は、右の初診時から再診時までの間に本症にり患しており、その結果失明した。

4  昭和四七年当時、本症に対する光凝固法はいまだ当該専門領域における追試、検討の段階にあり、一般臨床眼科医(総合病院の眼科医を含む。)の医療水準として、その治療法としての有効性が確立され、その知見が普及定着してはいなかった。冷凍凝固法も同様の状態にあったのであり、また本症に適切な他の治療法もなかった。

5  ただし、浦和医師は、臨床眼科等の専門雑誌によって本症についての一応の知識を有し、その発症は生後三、四か月からときには五か月くらいまでの間であることを認識していたし、数例の臨床経験も有していた。そして、同医師は、幸人の来院受診の趣旨が本症の発症を憂慮し、そのり患の有無の診断にあったことは十分に了知していた。

三原判決は、右の事実関係の下で、(一)浦和医師には、同医師自身光凝固法等の治療法を施術すべき注意義務が存在しないことはもとより、右有効性の確立を前提とする説明義務、転医義務、自己研さん義務、調査義務、文献検索義務、照会義務等の違反も認める余地がないと判断したが、他方、(二)次のとおりの理由で上告人の債務不履行による責任ないし民法七一五条による責任を肯認した。

1  医師と患者との間の医療契約の内容には、単に当時の医療水準によった医療を施すのみでなく、そもそも医療水準のいかんにかかわらずち密で真しかつ誠実な医療を尽くすべき約定が内包されているというべきであり、また、医師は本来そのような注意義務を負うものと解するのが相当であり、医師がその義務に反して著しく粗雑、ずさんで不誠実な医療をした場合において、疾病によって生じた結果が重大で患者側に医療に対する心残りやあきらめ切れない感情が残存することが無理からぬと思われる事情が認められるときは、医師のその作為・不作為と右結果との間に相当因果関係が認められなくても、医師は、その不誠実な医療対応自体につき、これによって患者側に与えた右精神的苦痛の慰謝に任ずる責任があるというべきである。

2  浦和医師は、初診時の昭和四七年一一月二八日、被上告人らが本症を心配して受診したにもかかわらず、六か月後の来院を指示して幸人の本症に対する正確な診断と経過観察の機会を失わしめ、再診時の昭和四八年三月一二日、幸人の眼疾を白内障と誤診するなどしたもので、これは著しくずさんで不誠実な医療行為であり、そのため幸人は、あるいは唯一の可能性であったかもしれない光凝固法受療の機会をとらえる余地さえ与えられずに無為に過ごさざるを得なかったのであり、被上告人らそれぞれにあきらめ切れない心残りとしてぬぐい難い痛恨の思いを抱かせて精神的苦痛を与えた。被上告人らが主張する、光凝固法等による治療の機会を奪われて両眼失明に至ったことに対する慰謝料請求の中には、右のあきらめ切れない心残り等の精神的苦痛に対する慰謝料請求が含まれているものと解すべきである。

原判決は、右のように判断して、上告人に対し、本件医療契約上の債務不履行ないし不法行為責任によって、幸人に慰謝料として三〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、被上告人善一、同良子に慰謝料及び弁護士費用の損害賠償として各一五〇万円及び内各一〇〇万円に対する右同日から、内各五〇万円に対する昭和五六年六月一九日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払うことを命じた。

四しかしながら、原審の右(一)の判断は正当として是認することができるが、(二)の判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。

人の生命及び健康を管理する業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため必要とされる最善の注意義務を尽くすことを要求されるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床学の実践における医療水準であり(最高裁昭五四年(オ)第一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三頁参照)、医師は、患者との特別の合意がない限り、右医療水準を超えた医療行為を前提としたち密で真しかつ誠実な医療を尽くすべき注意義務まで負うものではなく、その違反を理由とする債務不履行責任、不法行為責任を負うことはないというべきである。

これを本件についてみると、本症に対する光凝固法は、当時の医療水準としてその治療法としての有効性が確立され、その知見が普及定着してはいなかったし、本症には他に有効な治療法もなかったというのであり、また、治療についての特別な合意をしたとの主張立証もないのであるから、浦和医師には、本症に対する有効な治療法の存在を前提とするち密で真しかつ誠実な医療を尽くすべき注意義務はなかったというべきであり、被上告人らが前記のようなあきらめ切れない心残り等の感情を抱くことがあったとしても、浦和医師に対し、幸人に光凝固法等の受療の機会を与えて失明を防止するための医療行為を期待する余地はなかったのである。

しかるに、原判決が、同医師が本症に対する正確な診断と経過観察の機会を失わせたこと、幸人の眼症を白内障と誤診したこと等を指摘して、同医師が著しくずさんで不誠実な医療行為をしたと評価し、唯一の可能性であったかもしれない光凝固法受療の機会をとらえる余地さえ与えなかったとして、上告人の責任を肯認したのは、結局、本件医療契約の内容として、同医師に対し、医療水準を超えた医療行為を前提とした上で、ち密で真しかつ誠実な医療を尽くすべき注意義務を求め、その義務違反による法的責任を肯認したものといわざるを得ない(なお、原判決は同医師がカルテを改ざんしたことを認定しているが、右事実は、一般人の医師に対する信頼を著しく裏切るものであって、強く非難されるべきではあるけれども、本件請求の原因とされている同医師の医療行為に係る法的責任とは、別個の問題である。)。したがって、原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があるというべきで、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点をいう論旨は理由があり、原判決中、上告人敗訴部分は破棄を免れない。

そして、前記の確定した事実関係の下では、被上告人らの本件医療契約に基づく債務不履行又は右契約の存在を前提とした不法行為に基づく本件請求が理由のないことは以上の説示に照らして明らかであるから、右請求は棄却すべきものである。

五よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大西勝也 裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平)

上告代理人饗庭忠男、同小堺堅吾、同山本一道、同井上利之、同大島真人の上告理由

第一点 原判決には上告人日本赤十字社(以下上告人という)の眼科医師浦和安彦に課した注意義務(その二)の内容が注意義務(その一)の内容と明らかに矛盾し、その判断に理由齟齬の違法があり破棄を免れない。

一、原判決はその理由中の「浦和医師の注意義務について(その一)」において、医師の注意義務の基準につき

「思うに人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時の、いわゆる臨床医学の実践における医療水準であるところ、これを本件について考えれば、右医療水準にあるといいうるためには、新しい治療法が開発提唱せられた場合、その医療領域における研究者らによる追試等を経て、一定の診断・治療基準によるその有効性が定説的に承認され(実質的にも有効でなければならないことはもとよりである。)その知見が平均的な一般臨床医家に普及していなければならないというべきである(原判決B―五四丁)。」と判示したうえ、昭和四七年一一月当時の本症の治療法の医療水準について「本症に対する光凝固法は未だ当該専門領域における追試、検討の段階にあったものとみるのが相当であり、一般臨床眼科医(綜合病院の眼科医を含む)の医療水準として有効性が確立され、その知見が普及定着していたものとすることは、到底できないというべきである(原判決B―五七丁)。」とし、ついで「ところで、被控訴人らの主張する浦和医師の過失は、要するに同医師が被控訴人幸人の本症につき、薬物療法、光凝固法或いは冷凍凝固法による治療を受ける機会を失わしめ、同被控訴人を失明に至らせたところにあるとするのであるところ、前記のとおり、「本症に対する光凝固法又は冷凍凝固法が未だその治療法としての有効性の確立並びにその知見の普及定着をみるに至らず、臨床一般の医療水準になかったものである以上、同医師自身これら治療法を施術すべき注意義務が存しないことはもとより、右有効性の確立を前提とする説明義務、転医義務、自己研鑚義務、調査義務、文献検索義務、照会義務等の違反も認める余地がないものといわなければならない。また、薬物療法の有効性が認められていないことは前認定のとおりであるから、これを受療させなかったことも注意義務違反ということはできない(原判決B―五八丁。)」

と認定判断している。

ところが、他方原判決はその理由中の「浦和医師の注意義務について(その二)」においては

「医師と患者の医療契約の内容には、単に当時の医療水準に拠った医療を施すというのみでなく、そもそも医療水準の如何に拘わらず緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき約が内包されているというべきであり、また医師は本来そのような注意義務を負うものと解するのが相当である。(原判決B―六四丁)…(中略)「これを本件についてみると、浦和医師は、本来、本症が生後三、四か月ときには五か月までの間に発症する未熟児特有の眼疾患であり、その病勢の進行如何によっては失明に至る回復不能のものとなるとの認識を有しており、また患者側からも、未熟児であるため本症を心配して来院した旨受診を求められながら、昭和四七年一一月二八日「六か月後の来院」を指示して、結局被控訴人幸人の本症に対する正確な診断と経過観察の機会を失わしめたものであり、しかも当時本症に対する光凝固法が未だ一般の医療水準になく、他には本症に対する適切な治療法が存しなかったとはいえ、前認定のように、当時本症に対する光凝固法については、本症研究者らによる追試報告も相当数現われ、その中にはこれを好意的賞讃的に評価するものも稀れではなかったもので、実際幸人も、後には翌四八年五月二五日受診した山際医師の紹介によって、天理よろづ相談所病院に永田誠医師の診察を仰いでいるのであるから、同人がその後更に京都の吉川眼科、三重大学医学部と受診していることも思い合わせると、もし浦和医師がその能力を尽くして真摯にして誠実な診察を行い、早期に幸人の本症発症とその病質を被控訴人らに知らしめていたならば(浦和医師は過去に一再ならず患児を診察して本症を経験しているのであるから、幸人の場合にこれを発見しえない筈はない)、被控訴人らはたとえ失明が避けられないものと告げられたとしても、そこに至る過程において能う限りの人事を尽してなお一縷の治療の方途を探究したであろうし、そうすれば恐らく光凝固法を受療する機会にも恵まれて、たとえその結果失明を免れえなかったとしても、患児及びその両親として尽くすべき手段は尽くしたとの心残りのない想いで結果を受容することも可能であった筈である。(原判決B―六五丁裏乃至六七丁表)…(中略)「そして被控訴人らのかかる精神的苦痛は、前認定のような浦和医師の著しく杜撰で不誠実な医療によるものといわなければならない(原判決B―六七丁裏)。」

として、結局上告人の責任を肯認している。

二、(一) 以上のようにして原判決はその理由中の「浦和医師の注意義務について(その一)」において、浦和医師には説明義務も転医指示義務もなかったことを明示したうえで「むしろ治療基準も未だ確立されていない新規治療法を患者に実施し、或いはその存在を告知することは、逆に別個の医療倫理の問題や法的責任の問題を惹起するおそれなしとしないと思われる(原判決B―五五丁)。」とまで判断している。

(二) 他方で原判決は理由中の「浦和医師の注意義務について(その二)」のうち前記引用部分中において

「もし浦和医師がその能力を尽くして真摯にして誠実な診察を行い、早期に幸人の本症発症とその病質を被控訴人らに知らしめていたならば(浦和医師は過去に一再ならず患児を診察して本症を経験しているのであるから、幸人の場合にこれを発見しえない筈はない)、被控訴人らはたとえ失明が避けられないものと告げられたとしても、そこに至る過程において能う限りの人事を尽してなお一縷の治療の方途を探究したであろうし、そうすれば恐らく光凝固法を受療する機会にも恵まれて、たとえその結果失明を免れえなかったとしても、患児及びその両親として尽くすべき手段は尽くしたとの心残りのない想いで結果を受容することも可能であった筈である(原判決B―六五丁)。」

と述べ、右の点に浦和医師の注意義務違反があったことを肯認している。しかして右引用部分の意味するところは結局、浦和医師は幸人の本症発症とその病質を被上告人らに知らしめるべきであるのにこれを知らしめなかった、光凝固法を受療する機会を与えるべきであるのにこれを与えなかったというものであり結局、同医師に説明義務、転医指示義務を認めていることに帰着する。

要するに、原判決右引用部分は、浦和医師がこれを怠ったという以上のことも、又その以下のことも述べていない。即ち、原判決は浦和医師の説明義務、転医指示義務につき、「浦和医師の注意義務について(その一)」ではこれなしと言い、「浦和医師の注意義務について(その二)」ではこれありと言っているのであってその理由に齟齬のあることは明白であり、右二つの判示部分を対比してこれをみるに、同一裁判所の判断とは到底考えられない誤りを犯している。

三、(一) それのみならず、前記二の(一)で引用したように原判決は「浦和医師の注意義務について(その一)」において

「治療基準も有効性も未だ確立されていない新規治療法を(本件においては光凝固法がまさにこれにあたる)患者に実施し、或はその存在を告知することは、逆に別個の医療倫理の問題や法的責任の問題を惹起するおそれなしとしない。」

とまで判断している。

そうだとすると、本件事案において浦和医師は被上告人らに対し本症についての説明をせず、光凝固法の受療機会を与えなかった故を以って注意義務に違反したと認定されているのであるが、仮に浦和医師が本症について説明し、光凝固法の受療機会を与えていたらどうであったろうか。原判決の示すところによればこの場合も逆に別個の医療倫理の問題や法的責任の問題を惹起するおそれがある、ということになりはしないか。

(二) 要するに、原判決によれば浦和医師は本症についての説明をしてもしなくても、光凝固法の受療機会を与えても与えなくても上告人に対する法的責任を惹起するおそれがあるという奇妙な結論を認めることにならざるを得ない。そしてこのような結論の導き出される所以は原判決が明白な理由齟齬を犯しているからにほかならない。

第二点 原判決には医師の注意義務の内容の判断につき、最高裁判所判例に違背し、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背があり破棄を免れない。

一、前記第一点で述べたように、原判決はその理由中の「浦和医師の注意義務について(その一)」において総論的に、医師の注意義務の基準につき

「思うに人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時の、いわゆる臨床医学の実践における医療水準であるところ、これを本件について考えれば、右医療水準にあるといいうるためには、新しい治療法が開発提唱せられた場合、その医療領域における研究者らによる追試等を経て、一定の診断・治療基準によるその有効性が定説的に承認され(実質的にも有効でなければならないことはもとよりである。)その知見が平均的な一般臨床医家に普及していなければならないというべきである(原判決B―五四丁)。」

と判示し、各論的に昭和四七年一一月当時の本症の治療法の医療水準について

「本症に対する光凝固法は未だ当該専門領域における追試、検討の段階にあったものとみるのが相当であり、一般臨床眼科医(綜合病院の眼科医を含む)の医療水準として、その治療法としての有効性が確立され、その知見が普及定着していたものとすることは、到底できないというべきである(原判決B―五七丁)。」

としたうえ、浦和医師の過失の有無につき

「本症に対する光凝固法又は冷凍凝固法が未だその治療法としての有効性の確立並びにその知見の普及定着をみるに至らず、臨床一般の医療水準になかったものである以上、同医師自身これら治療法を施術すべき注意義務が存しないことはもとより、右有効性の確立を前提とする説明義務、転医義務、自己研鑚義務、調査義務、文献検索義務、照会義務等の違反も認める余地がないものといわなければならない。また、薬物療法の有効性が認められていないことは前認定のとおりであるから、これを受療させなかったことも注意義務違反ということはできない(原判決B―五八丁)。」

と認定判断しながら他方その理由中の「浦和医師の注意義務について(その二)」においては

「医師と患者の医療契約の内容には、単に当時の医療水準に拠った医療を施すというのみでなく、そもそも医療水準の如何に拘わらず緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき約が内包されているというべきであり、また医師は本来そのような注意義務を負うものと解するのが相当である(原判決B―六四丁)」…(中略)「これを本件についてみると、浦和医師は、本来、本症が生後三、四か月ときには五か月までの間に発症する未熟児特有の眼疾患であり、その病勢の進行如何によっては失明に至る回復不能のものとなるとの認識を有しており、また患者側からも、未熟児であるため本症を心配して来院した旨受診を求められながら、昭和四七年一一月二八日「六か月後の来院」を指示して、結局被控訴人幸人の本症に対する正確な診断と経過観察の機会を失わしめたものであり、しかも当時本症に対する光凝固法が未だ一般の医療水準になく、他には本症に対する適切な治療法が存しなかったとはいえ、前認定のように、当時本症に対する光凝固法については、本症研究者らによる追試報告も相当数現われ、その中にはこれを好意的賞讃的に評価するものも稀れではなかったもので、実際幸人も、後には翌四八年五月二五日受診した山際医師の紹介によって、天理よろづ相談所病院に永田誠医師の診察を仰いでいるのであるから、同人がその後更に京都の吉川眼科、三重大学医学部と受診していることも思い合わせると、もし浦和医師がその能力を尽くして真摯にして誠実な診察を行い、早期に幸人の本症発症とその病質を被控訴人らに知らしめていたならば(浦和医師は過去に一再ならず患児を診察して本症を経験しているのであるから、幸人の場合にこれを発見しえない筈はない)、被控訴人らはたとえ失明が避けられないものと告げられたとしても、そこに至る過程において能う限りの人事を尽してなお一縷の治療の方途を探究したであろうし、そうすれば恐らく光凝固法を受療する機会にも恵まれて、たとえその結果失明を免れえなかったとしても、患児及びその両親として尽くすべき手段は尽くしたとの心残りのない想いで結果を受容することも可能であった筈である(原判決B―六五丁裏乃至六七丁表)。」…(中略)「そして被控訴人らのかかる精神的苦痛は、前認定のような浦和医師の著しく杜撰で不誠実な医療によるものといわなければならない(原判決B―六七丁裏)。」

として、結局浦和医師の過失を認めている。

二、ところで医師の注意義務の基準について、最高裁判所は次のような基準を設定している。

(一) 最高裁判所昭和五四年(オ)第一三八号、昭和五七年三月三〇日第三小法廷判決は医師の注意義務の基準について

「思うに、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるから、前記事実関係のもとにおいて、所論の説明指導義務及び転医指示義務はないものとしたうえ、被上告人の不法行為責任及び債務不履行責任は認められないとした原審の判断は正当であって、その過程に所論の違法はない。」と判示し、医師の注意義務の基準は診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であることを明確に示しているところである。

(二) 更に、最高裁判所昭和五八年(オ)第六二一号、昭和六一年五月三〇日第二小法廷判決も

「思うに、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるところ、前記確定事実によれば、恭子が坂出市立病院に入院中の昭和四五年一一月当時、光凝固法は当時の臨床医学の実践における医療水準としては本症の有効な治療方法として確立されていなかったのであり、また、ほかに本症につき有効な治療方法はなかったというのであるから、青野医師には、もとより有効な治療方法と結びついた眼底検査の必要性の認識がなかったことは当然であり、恭子の両親の要求を受けた飛梅医師から眼底検査の依頼があった場合であっても、眼底検査を行った結果を告知説明すべき法的義務まではなかったというべきである。そうとすれば、坂出市立病院において恭子の眼底検査をした際の青野医師の医師としての対応の当否は別として、同医師に前記のような法的義務を負わせることはできないというべきである。」と同旨の見解を展開し判示しているところである。

三、これを本件原判決についてみるに

(一) 前述の「浦和医師の注意義務について(その一)」においては前述したごとく、

「思うに人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時の、いわゆる臨床医学の実践における医療水準であるところ、これを本件について考えれば、右医療水準にあるといいうるためには、新しい治療法が開発提唱せられた場合、その医療領域における研究者らによる追試等を経て、一定の診断・治療基準によるその有効性が定説的に承認され(実質的にも有効でなければならないことはもとよりである)、その知見が平均的な一般臨床医家に普及していなければならないというべきである(原判決B―五四丁)。」

と判示し浦和医師の過失の有無に触れ本件の昭和四七年一一月当時

「本症に対する光凝固法又は冷凍凝固法が未だその治療法としての有効性の確立並びにその知見の普及定着をみるに至らず、臨床一般の医療水準になかったものである以上、同医師自身これら治療法を施術すべき注意義務が存しないことはもとより、右有効性の確立を前提とする説明義務、転医義務、自己研鑚義務、調査義務、文献探索義務、照会義務等の違反も認める余地がないものといわなければならない。また、薬物療法の有効性が認められていないことは前認定のとおりであるから、これを受療させなかったことも注意義務違反ということはできない(原判決B―五七丁)。」

と判断し前述の最高裁判所判例と同旨の判示をしている。

(二) ところが、これに続く「浦和医師の注意義務について(その二)」においては

「医師と患者の医療契約の内容には、単に当時の医療水準に拠った医療を施すというのみでなく、そもそも医療水準の如何に拘わらず緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき約が内包されているというべきであり、また医師は本来そのような注意義務を負うものと解するのが相当である(原判決B―六四丁)。」…(中略)「これを本件についてみると、浦和医師は、本来、本症が生後三、四か月ときには五か月までの間に発症する未熟児特有の眼疾患であり、その病勢の進行如何によっては失明に至る回復不能のものとなるとの認識を有しており、また患者側からも、未熟児であるため本症を心配して来院した旨受診を求められながら、昭和四七年一一月二八日「六か月後の来院」を指示して、結局被控訴人幸人の本症に対する正確な診断と経過観察の機会を失わしめたものであり、しかも当時本症に対する光凝固法が未だ一般の医療水準になく、他には本症に対する適切な治療法が存しなかったとはいえ、前認定のように、当時本症に対する光凝固法については、本症研究者らによる追試報告も相当数現われ、その中にはこれを好意的賞讃的に評価するものも稀れではなかったもので、実際幸人も、後には翌四八年五月二五日受診した山際医師の紹介によって、天理よろづ相談所病院に永田誠医師の診察を仰いでいるのであるから、同人がその後更に京都の吉川眼科、三重大学医学部と受診していることも思い合わせると、もし浦和医師がその能力を尽くして真摯にして誠実な診察を行い、早期に幸人の本症発症とその病質を被控訴人らに知らしめていたならば(浦和医師は過去に一再ならず患児を診察して本症を経験しているのであるから、幸人の場合にこれを発見しえない筈はない)、被控訴人らはたとえ失明が避けられないものと告げられたとしても、そこに至る過程において能う限りの人事を尽してなお一縷の治療の方途を探究したであろうし、そうすれば恐らく光凝固法を受療する機会にも恵まれて、たとえその結果失明を免れえなかったとしても、患児及びその両親として尽くすべき手段は尽くしたとの心残りのない想いで結果を受容することも可能であった筈である(原判決B―六五丁)。」

と判断している。しかし右認定判断は前記最高裁判所判例に明らかに違背する判断基準を示し、これによって浦和医師の過失を認定した法令の違背があるというべきである。

四、原判決が「浦和医師の注意義務について(その二)」で展開するように、「当時の医療水準の如何にかかわらず緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき約が内包されている」ことを前提として医師の過失の有無を判断すれば、医師の行動基準は不明瞭かつ曖昧なものとなり医師の過失の有無の認定基準はあってなきが如きものとなり、ひいては医師の過失を無限定に拡大し過失なき医師にも法的責任を認めることになるであろう。

(一) そもそも、医師の準委任契約における、あるいは不法行為法における注意義務の基準を何に拠って定むべきか、専門家たる医師の過失の判断基準を一般通常人のそれと同様に考えて良いのか、は一つの問題である。

この点につき右の二つの最高裁判所判例は明確な基準を示している。曰く、

① 「人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求される」が

② 「右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」、と。

即ち、最高裁判所は医師の注意義務の基準はその従事する職務の性質上最善のものでなければならないが、それに加えてその注意義務の基準は「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」として客観的に定まるものとしているのである。

(二) このようにして、最高裁判所判例は医師の注意義務の基準を客観的に明らかにした。

(1) この結果、患者の診察にあたる医師は当時の臨床医学の実践における医療水準を基準として説明義務、転医義務、自己研鑚義務、調査義務、文献検索義務、照会義務等の諸義務を尽せば最善の義務を尽したといえることが明らかにされたのである。反面、未だ治療法としての有効性が確立していない療法については、説明し、受療の機会を与える必要がないのみならず、原判決中の「浦和医師の注意義務について(その一)」に示すようにそうした療法を施した場合は却って過剰診療として責任を追求されることのありうることが明らかとされるに至ったのである。

(2) 他方、これを患者の側から見るならば一旦医師の診療を受けた以上当時の臨床医学の実践における医療水準に沿った治療を受けうる権利が確保され、かつ「緻密、真摯、誠実」の美名のもとに未だ有効性・安全性が確立していない治療法を施されることにより生体実験の用に供されることのない権利が確保されたものと言うことができるのである。

五、(一) 以上のようにして最高裁判所は医師の努力すべき限度、患者の安全な治療を受ける権利の双方を視野に入れたうえ前記の注意義務の基準を確定したのである。しかるに原判決が「浦和医師の注意義務について(その二)」で示した注意義務の基準は、右のようにして最高裁判所が苦心のうえ明らかにした基準について全く理解を示そうとせず、のみならずこれを踏みにじろうとするものである。もし、原判決右部分が、最高裁判所判例としてまかり通らんか、医師はいかなる基準で診療をすべきか判断に迷い患者はいかなる治療を受け得るか、生体実験の対象とされぬ保証があるか恐恐とすること必定であろう。

(1) 原判決が「浦和医師の注意義務について(その二)」でいう、「緻密で真摯かつ誠実な医療」というのは何を基準に判断されるのであろうか。原判決の右判示部分は「医療水準の如何にかかわらず」と断言している。

最高裁判所判例のいういわゆる臨床医学の実践における医療水準を「緻密、真摯、誠実」に果たす、というのであればこれを理解するに難くはない。しかし、医療水準と無関係に「緻密、真摯、誠実」に医療をする、というのは理解に苦しむ。原判決の右判示は医師にどのような診療をせよ、というのであろうか。原判決はこの点について何ら客観的な基準を示していない。又、原審の裁判官がどのような基準に照らして浦和医師の診療を「著しく杜撰、不誠実」としているのか全く明確を欠く。

(2) このように、原判決が右判示部分に示す注意義務の基準が明らかでない以上、患者から診療を託された医師はどのような診療をすれば「緻密、真摯、誠実」な診療をしたことになるか判断できないことになってしまうのではあるまいか。

そうだとすれば医師は、仮に「緻密、真摯、誠実」に診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に拠った診療をしたとしてもそれのみしか施さなかったとすれば、「著しく杜撰、不誠実」であるとして注意義務違反だとされる危険に曝されるのである。これが、原判決が「浦和医師の注意義務について(その二)」において示す結論である。

さればとて医師が、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に到達していない実験的あるいは追試検討段階にある治療法を施した場合はどうなるであろうか。原判決は前に引用したように「浦和医師の注意義務について(その一)」において、「むしろ治療基準も有効性も未だ確立されていない新規治療法を患者に実施し、或いはその存在を告知することは、逆に別個の医療倫理の問題や法的責任の問題を惹起するおそれなしとしないと思われる(原判決B―五五丁)。」

としているのである。そして、原判決がここに意図的に「治療基準も有効性も未だ確立していない新規治療法」と述べているのはまさに臨床医学の実践における医療水準に到達していない実験的あるいは追試検討段階にある治療法をさしていることは判文上明らかである。

従って原判決の「浦和医師の注意義務について(その一)」に従えば医師が実験的あるいは追試検討段階にある新規治療法を施したりその存在を告知したりすればその医師は医療倫理上の責任や法的責任を追求されるおそれがあるとするのである。

原判決はあるいは(ひょっとしたら)、「いわゆる臨床医学の実践における医療水準に到達した治療法を「緻密、真摯、誠実」に行なうことを求めているのであろうか。しかし、原判決が「浦和医師の注意義務について(その二)」において浦和医師の診療行為を「著しく杜撰、不誠実」として指摘されるのは

① 昭和四七年一一月二八日の診察についていえば

「仮に、生後二か月半余の昭和四七年一一月二八日診察時点において、患児の本症発症は未だ認められなかったとしても、なおその発症のおそれある期間内については、引続いての慎重かつ継続的な経過観察が必要であったものであ(原判決B―六一丁)」るのにこれを怠ったこと、

及び

「浦和医師が一か月後の来院を指示したとするのは同医師の強弁に過ぎないものと認められ、そうすると、乙第三号証の一の「一、数〜」の記載は右強弁と辻褄を合わせるため、後日ほしいままに記入されたものと結論せざるを得ない。(原判決B―六一丁)」とする点

であり、

② 昭和四八年三月一二日の診察についていえば

「同日の幸人のカルテには「白内障」と断定的記載をしたうえ、「先天性?」「(将来手術か)」などとあるのみで(同医師に「未熟児網膜症」、殊に「末期で治癒不可能」とする判断があったとすれば、この記載は説明不能であろう)、「未熟児網膜症」又はその疑いに関する記載は全くなく、また患児が動いて細隙燈検査が出来なかったため、本症か白内障かの確認ができなかったというようなことも述べるけれども、かといって、それならば機会を改めて細隙燈検査を施行し、疾患を究明確認しようとした形跡は一切窺えない。(原判決B―六三丁)」とする点

であるにすぎない。

しかるに、原判決は浦和医師の右診療当時の臨床医学の実践における医療水準に関し

「本症に対する光凝固法は未だ当該専門領域における追試、検討の段階にあったものとみるのが相当であり、一般臨床眼科医(総合病院の眼科医を含む)の医療水準として、その治療法としての有効性が確立され、その知見が普及定着していたものとすることは、到底できないというべきである。(原判決B―五七丁)」

と認定判断している。そうであれば本症に対する光凝固法、又は冷凍凝固法は当時の臨床医学の実践における医療水準に到達していなかったのであるから、原判決のいう右論旨に従えば経過観察義務は全くなかったはずである。何故なら経過観察義務(眼底検査義務)は本症に対する有効性の確立した治療法との結びつきがあってはじめて発生するものだからである。まして本件当時、浦和医師は本症に対する光凝固法についての知識がなく(浦和医師第一二回口頭弁論第一回原審証言一九丁裏)、従って同医師は有効な治療方法と結びついた眼底検査の必要性の認識がなかったのである。又、昭和四八年三月一二日、既に失明していたのにこれに気づかなかった点についても、もはや結果回避の可能性がなかった以上、いわゆる臨床医学の実践における医療水準に照らして過失があったとは言えない筋合である。

以上の検討によって明らかにした通り、原判決が「杜撰、不誠実」とする点はいわゆる臨床医学の実践における医療水準とは全く無関係のものである。それでは、「緻密、真摯、誠実」であったか否かは何を基準に判断されるのであろうか。

右①、②に指摘されるところは結局、光凝固による受療機会を与えなかったというにつきる。そうだとすれば、治療法の確立していない疾病の患者の診察をした医師は常に注意義務に違反するとされる危険に曝されることになってしまう。仮に、原判決が、浦和医師の診察の仕方によっては同医師が注意義務を果たしたと言える場合があり得ると考えているとしても、原判決の理由中から浦和医師がどういう基準で診察すれば注意義務を果たしたことになるのか全く明らかでない。原判決によれば、浦和医師が昭和四七年一一月二八日から経過観察をし、昭和四八年三月一二日までに失明に気づいておれば注意義務を満たしたとするかのようである。しかし、仮にそうだとしても(右基準すら原判決からは読みとれない)原判決が何を基準に右の義務を浦和医師に課しているのか全く明らかでない。故に、原判決からは医師が患者を診察するときの注意義務の基準が何であるかはやはり明らかでないと言わねばならない。従って、原判決の摘示するところに従えば、本症の患者を診察した医師はいかなる診察をするべきか判断することができず、当惑するのほかはないと言わざるを得ないのである。

(3) 他方原判決が「浦和医師の注意義務について(その二)」に指摘するところは患者から見ても重大な問題を含むものである。

「浦和医師の注意義務について(その一)」に指摘されるように、医師は当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準の治療をする義務があり、かつ有効性・安全性が確立されていない治療法を施す場合には医療倫理、法的責任の問題が惹起されると思えばこそ、患者は自己が客観的水準における診療を受け得るものと理解し、安心して自己の運命を医師に委ねることができるのである。

然るに「浦和医師の注意義務について(その二)」によれば浦和医師は未だ有効・安全な治療法として確立していず、その知見が普及定着していない光凝固法を受療する機会を与えなかったことを以って注意義務違反があったとされているのである。そうとすれば患者は医師の診察を受ける際に未だ有効性・安全性の確立していない治療法を受ける危険に身をさらすことを強制されるのである。生体実験の対象たることを強制されるのである。もし原判決のいうごとき論理が是認されるならば、患者は安心して医師の診療を受けることができなくなるであろう。

原判決は、あるいは医師をして光凝固法が有効性・安全性の確立していない治療法であることまで明示したうえでその受療機会を与えるべきであった、とするのかもしれない。しかし、それなら逆に光凝固法の無効なこと、危険なことを知悉している医師にまで右のような義務を課したのであろうか。光凝固法の無効であること、危険性を知った医師にも、患者に対して光凝固法による受療機会を与えるべきだというのであれば、それは医師の良心をふみにじるものだと言わなければならない。

結局、原判決理由中の「浦和医師の注意義務について(その二)」の指摘するところは未だ有効性・安全性の確立していない治療法につき、これを有効・安全であると盲信する医師をして「緻密、真摯、誠実」の美名のもとに生体実験を慫慂せしめるものであり、他方右治療法の有効性を疑い危険性を危惧する医師をしてその良心を捨てさせ患者に危険な治療法の受療を余儀なくせしめるものと言うほかないのである。

(二) 以上のようにして、原判決の「浦和医師の注意義務について(その一)」及び「(その二)」を通覧すると、結局原判決は被害者救済のために理由にならない理由を付して医師の注意義務違反を認めているというほかはないのである。

しかし、このような原判決は、医師の注意義務の内容を不明瞭かつ曖昧にするという意味で誤っているのみでなく、医師の責任を限りなく無過失責任に近づけるという意味においても又誤っている、と言わなければならない。

何故なら

医師のような専門的職業人の責任の有無の判断については、損害賠償責任を通じて適切な行為基準が設定されるべきであり無過失責任には本質的になじみ難いということを考えておく必要があるからである。したがって損害填補に関するかぎり責任法の改革で解決できる範囲にはおのずと制約があり、その範囲内の弾力的な解決では社会的コンセンサスが得られるということは到底考えられない。むろん、治療法のない疾病に侵された患者の救済をすることは一考に値する問題である。しかしその場合は、むしろ率直に不法行為法に代置する補償制度の当否が考慮に値するというべきである。

六、(一) 以上述べたように、原判決自身、何を基準として医師の診療が「緻密、真摯、誠実」であったか否かを判断するのか何ら述べていない。原判決理由中では浦和医師のどの行為が、「杜撰、不誠実」であったかを指摘していても何を基準として右行為が「杜撰、不誠実」であると判断したものか全く明らかでない。

(二) 又、原判決は右の判断をするにあたって「医療水準の如何にかかわらず」と言っている。当時の医療水準を基準としないのであれば何か他に客観的基準を求めることができるのであろうか。

原判決が、他に何らの客観的基準を示しておらず、専ら「緻密、真摯、誠実」の抽象的精神的文言を使用していることから、原判決は浦和医師の内面的倫理的な側面を問題にしていると考えざるを得ない。

(三) しかし、このような医師の内面的、倫理的側面を訴訟手続において証拠により判断することは果たして可能であろうか。これが可能だとするのは刑事手続において構成要件なくして罪を論ずるのに等しいと言うべきではないだろうか。

事実、原判決は何故に「いかなる基準」を以って浦和医師が「杜撰、不誠実」であったと判断したのか何らこれを示していない。この判決からは一般に医師がどのような基準で診療をすれば「緻密、真摯、誠実」と判断されるものか読みとることはできない。それは、原審の裁判官が、医師の内面を判断する客観的基準を定めることができなかったからであろう。何故ならばそもそも他人の心の中を見る際、客観的基準など設定しうるはずがないからである。この一事を以って、裁判官が医師の「緻密、真摯、誠実」を判断することができないのは明らかである。

(四) 又、そもそもこのような、客観的医療水準を離れての「緻密、真摯、誠実」は司法権の介入すべき問題ではない。法は一定の損害が生じたときにこれと相当因果関係に立つ注意義務違反があるときにその注意義務違反に対して責任を問うのである。右損害と因果関係に立たない「著しく杜撰不誠実」な診療があったとしてもそれは医師の倫理の問題でありこれを根拠に法的責任の問題とする筋合ではないのである。

七、(一) 原判決は、「浦和医師の注意義務について(その二)」において、

「換言するならば、医師が右の義務に反して粗雑・杜撰で不誠実な医療をしたときは、医師のその作為・不作為と対象たる疾患について生じた結果との間に相当因果関係が認められなくても、医師はその不誠実な医療対応自体につき、これによって患者側に与えた精神的苦痛の慰藉に任ずる責があるというべきである。(原判決B―六五丁)

………(中略)

「もし浦和医師がその能力を尽して真摯にして誠実な診察を行い、早期に幸人の本症発症とその病質を被控訴人らに知らしめていたならば(浦和医師は過去に一再ならず患児を診察して本症を経験しているのであるから幸人の場合これを発見し得ない筈はない)、被控訴人らはたとえ失明が避けえられないものと告げられたとしても、そこに至る過程において能う限りの人事を尽してなお一縷の治療の方途を探究したであろうし、そうすれば恐らく光凝固法を受療する機会にも恵まれて、たとえその結果失明を免れえなかったとしても、患児及びその両親として尽くすべき手段は尽くしたとの心残りのない想いで結果を受容することも可能であった筈である。しかるに、被控訴人らには、わざわざその危惧の故に受診したにも拘わらず、「異常がない」「心配なら六か月後に来るように」「白内障で将来手術をすれば癒る」などといわれて、全く不知の間に本症に罹患し、失明に進んでいた訳であって、その間患者として何らの手を尽くすこともなく、或いは唯一の可能性であったかも知れない光凝固法受療の機会を捕える余地さえ与えられずに、無為に過ぎざるを得なかったことは、被控訴人らそれぞれにとって、諦め切れない心残りとして、長期にわたり痛恨の想いを拭い難いものがあるであろうことは想像に難くない。そして被控訴人らのかかる精神的苦痛は、前認定のような浦和医師の著しく杜撰で不誠実な医療によるものといわなければならない。(原判決B―六七丁)」

と判示しているが、原判決右部分についても判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

(二) 原判決右部分によれば、浦和医師の診察と被上告人前田幸人の失明との間には因果関係が認められないが、浦和医師の「著しく杜撰で不誠実」な医療により被上告人らそれぞれにとって、諦め切れない心残りとして、長期にわたり痛恨の想いを拭い難いものがあり、この感情と浦和医師の著しく杜撰かつ不誠実な医療との間には因果関係があることを以って上告人に損害賠償義務を肯認したものである。しかし失明と無関係な「諦め切れない」感情といったものはそもそも考えられない。理論的、一般的に言えば過失によって精神的苦痛を負わせた者は、その精神的苦痛を慰藉せねばならない場合もありうる。しかし、その場合の精神的苦痛は「そういう場合は通常人であれば誰でもそう感じるであろう」という意味での万人共通の客観性を持つものでなければならない。しかし、原判決が慰藉の対象としている精神的苦痛の中で失明と無関係なあきらめきれない感情を原判決文中に理解することができない。仮にそのような感情が原判決中に示されているとするならそういう感情は客観性を持たない専ら主観的なものにとどまるのである。

原判決は浦和医師の診察と前田幸人の失明との間に因果関係はないとしているのであるから、被上告人らが請求しうるのは失明とは無関係に被った精神的苦痛であり、それは原判決によれば、浦和医師により光凝固法による治療の受療機会を与えられなかったことによるあきらめきれない感情だというのである。しかし、原判決も認めている如く光凝固法は当時本症に対する治療法として有効性・安全性が確立しておらず、当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に到達していなかったのであるから浦和医師の診療行為には原判決の非難するような粗雑杜撰不誠実なものは存在しないというべきである。然らばいったい浦和医師のいかなる診療行為中に一般通常人が法的慰藉を求めるに値する不手際があると言えるであろうか。浦和医師には前田幸人を診察する機会はわずか二度しか与えられていなかったのである。しかも、そのうちの第一回、昭和四七年一一月二八日当時は前田幸人には何の異常もなかったので異常がないと診察したにすぎないのである。そして、それから一〇四日目にあたる昭和四八年三月一二日の第二回目の診察時には既に前田幸人は失明していたのである。浦和医師の再来院の指示の内容は別として、一〇四日の間に一度も来院していないのに、失明とは無関係に被上告人らが被ったとする精神的苦痛があるというのであればそれは専ら主観的なものであるとしか言いようがなくこのような精神的苦痛はおよそ法的保護の対象となるべきものではないというべきである。

(三) なお、下級審判例ではあるが、以下に引用するように最近の裁判例においても患者の機能低下(その極瑞な場合は死である)と医師の治療との間に因果関係のない場合、医師は患者の被った精神的苦痛に対してはこれを慰藉する義務を負わない、とされている。

(1) 東京地方裁判所昭和五二年(ワ)一一三一号、昭和五六年一〇月二七日判決

(判例時報一〇四六号・七〇頁)は患者が悪性腫瘍で死亡した事例につき、医師に注意義務違反があったがこの注意義務違反と患者の死亡との間には因果関係がなかった旨認定したあと、原告が医師の過失行為により、患者において現代医学の平均的水準の医療を受けられるとの期待が裏切られたこと自体をもって、慰藉料の請求をなしたのに応えて、「原告らは、被告に対し、被告の前記過失行為により、現代医学の提供する平均的水準の医療を受けられるとの期待を裏切られたこと自体につき、これによる疾病に関する結果発生の如何を問わず慰藉料の請求をしているが、右にいう期待は不法行為法によって保護されるべき正当な利益とは解し難く、同主張はそれ自体失当であって理由がない。」と判示している。

(2) 又、東京高等裁判所昭和五七年(ネ)六五九号、六八四号、昭和五八年三月一五日判決(判例時報一〇七二号・一〇五頁)は、患者が硬性胃癌で死亡した事例につき、死亡と医師の診察との間の因果関係を否定したうえ第一審原告の、「さらに精密な検査を受ける機会を得ていたならば、さほど遅くない時期に胃癌が発見されタミ子はその時点での症状に応ずる手術をはじめ、現代医学上可能とされる十分かつ適切な治療を受けることができたわけである。そうすれば、タミ子は一命を取り止めることができたかも知れないし、それが不可能であるとしても、少なくともいくばくかの延命の可能性があったであろうことは何人といえども否定することはできない。仮にその可能性がなかったとしても、胃癌が早い時期に発見され、十分かつ適切な治療が受けられれば、その結果の如何にかかわらず、患者や家族はそれで満足できるのであり、また、患者は適正な病名ないし病状を早く知ることによって、いわば死への心の準備をするとともに、残された日々を悔いなく送るようにつとめ、家族もまた、患者の心境がそうあるように配慮するものである。………(中略)タミ子及び第一審原告らがタミ子の疾患について適正な病名ないし病状を知ったのは、漸くその死亡の二か月ほど前のことであった。そのためタミ子及び第一審原告らはそれぞれ前記のような利益を失ったのであり、これによって蒙った精神的苦痛は甚大であって、」

という主張に対して

「第一審原告らは、タミ子の適正な病名ないし病状を知ることが遅れたことによって、タミ子自身及び第一審原告らにおいてその主張のような利益を失った旨主張するけれども、タミ子が罹患した前記のような難病の適正な病名ないし病状を早期に知ることが患者やその家族にどのような意味をもつかは、各人ごとに様々であり、第一審原告らのいう利益は極めて主観的なものであって、万人に共通したものとはいいがたく、法によって保護するに値する利益には当たらないというべきであり、したがって、この点に関する第一審原告らの主張もそれ自体理由がない。」

と判示しているのである。

(四) 以上二つの判例はいずれも医師の治療と患者の死亡との間の因果関係は否定しているものの、本件事案とは異なり(1)においては患者が医師の平均的水準における治療を受け得なかった事実を認め、(2)においては医師の病状の発見の遅れた事実はこれを認めている。にもかかわらず、これらの事実と患者の死亡との間に因果関係のない場合に医師には慰藉料支払義務がないとしているのである。

しかし、本件浦和医師は右二つの事例のように継続的に患者を診察しているのでもなければ当時の医療水準における注意義務を懈怠した訳でもない。右二つの下級審判決の判示に従えば継続的に治療を行ない、当時の水準における治療を懈怠した場合であっても治療と患者の死亡との間に因果関係のない場合にはその精神的苦痛は各人各様であって法的保護に値しないのである。まして、本件においては浦和医師は継続的診療を行なっていないのであって、しかも同医師の診療行為は当時の医療水準に照らして何ら非難されるところはなかったのであるから右二つの判示の法理は一層妥当するものというべきである。

要するに原判決には浦和医師の過失の認定基準が不明確であるという点に法令違背があり破棄を免れない。のみならず「幸人の失明とは無関係な」「あきらめきれない感情」という、常識的に理解し難い感情を以って本件損害としている点にも法令違背があり、更に仮に被上告人らが右の様な「精神的苦痛」を被ったとしてもそのような精神的苦痛は各人毎に様々であって法的保護の対象となりえないという点にも法令違背があるのであってやはり破棄を免れないと言わなければならない。

第三点、第四点〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例